ドクンドクンドクン 聞こえてくるよ
透明標本を見てきました。
透明標本は、小さな魚や鳥を標本にして、それに蛍光色で彩色しています。
液体に詰められたその小さな標本は、標本に本来あった魂が、何処へ行くのか迷うのではないかという、妖しい光の中にありました。
奇麗。
そんな表現でもいいのですが、もはや「妖しい」です。
標本自体はあっさりしていて、不吉な感じも何もなく、普通に標本なんですけれど、魅入っているのが私なのか、魅入られて動けないのか、わからなくなる。透明の中の、生命のあった証の骨。
写メを撮るのはもちろん禁止だと思いますが、それ以前に、無数の仏様なわけで・・・とか、手が勝手に止まってしまって。
デザフェスに出ていて、私は見てないけれど、べ~なたさんのレポでお見かけしたような(間違ってたらゴメン!)。それでずっと気になってました。
たまたま、行った先のギャラリーで透明標本も置いてあって、初めて間近で拝見しました。
アットホームなギャラリーだったから、ペッタリへばりついて見られました。
作っていらっしゃる方は、元々は漁師さんなのだそうです。
そりゃ魚に詳しいです。
標本にする方法は、骨学で昔からあった方法で、骨だけでなく、ある程度を残すための特殊な保存方法なのだそうです。(うろ覚え!)
ある程度を残す・・・普通の標本ではない方法のような気がします。
だって! 目の前の生き物は。標本は。
薄い膜の中に目玉を持って、内臓内蔵も入っていた気がする。
うっすらと、生きるための内蔵が、中でまだ在るのが見える。
覆っていた皮や羽や、そういうのが透明になっただけで、いつまでもとどまり続けている骨。
世界と僕が一つならば。
そんな唄を思い出しました。
人間には皮膚があって、世界と一緒になるにはどうしても身体が邪魔。
一緒に溶けていきたいのに。
そういう唄。
透明標本にしてもらえたら。きっと。きっとなれる。
実際は標本は液体につけておくしかなく、本当に大気に溶けるなら、順を追って塵にならないと。真っ当に生きないと。
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コメント
オイラ、鳥の胎児の持ってます。
BRHのワークショップでもらいました。
いまでも解剖学では使っている手法だと思われます。
きれいですよね。飾るのは勇気いりますけど(゚ー゚;。
投稿: べーさん | 2009年2月 4日 (水) 14:26
たぶんそれです、合ってると思います。
魄(からだ)は魂(たましい)の衣も同じ
旅立ち、脱ぎ捨てていったものを気に病む必要は無い。
と古代中国の伝説やら物語を元に描かれたとある漫画にありました。
どうせ聞くならランカ・リーのように
自分に勇気をくれる生きた人の鼓動にしときましょう。
投稿: べ~なた | 2009年2月 4日 (水) 21:23
>べーさん
鳥。鳥とネズミとイカは迫力あって、特によかったデス。
綺麗だから逆に生々しさが伝わってきました。どう見ても死体なのに、生命力があって。
アート部門に入る理由はそこかと思いました。
逆エンバーミングつーか。
ゴスロリのドクロは趣味が悪いと思っていたけれど、透明標本を見てから、ゴスロリの死のイメージが綺麗に見えるようになりました。
落ち着くまで迷走しそう。
投稿: 伸 | 2009年2月 4日 (水) 21:44
>べ~なたさん
魂魄ちゅーと、藤崎版封柛演技を思い出してしまう。メカメカしいの(笑)
私はタブーをやたら持っていて、種として徹底的に仕込まれてて自分でも笑えるくらいなのですが、死を不浄のモノではなく、宝石まで磨き上げてしまう技術と、それを綺麗と思ってしまう人間の感覚に驚きです。
笑顔だけが明るい世界ではないというか。
うまく言えないのですが。
闇から見上げた光ではなく、死が明るい日差しを形作っているような。
そっちの世界はそんなに暗くはないというか。
境目の小さな光を見たような。
縁側のあかりに匹敵する光量の。
べ~なたさんのイベントレポの画像を見て、忘れられなかったのは、不思議な暖かさを感じたのかなぁと。
死なないからこそ見える光なのか。
訳がわからない上に書きすぎですね(^^;
イベントレポ、本当に助かっています。
拝見してから始まって、現物を見て、今、自分の中の転換期になったかも。
投稿: 伸 | 2009年2月 4日 (水) 22:19