カテゴリー「旅行・地域」の6件の記事

2009年1月 4日 (日)

横浜開港150年のゆるキャラ

横浜開港150年のゆるキャラ
ゆるキャラも論議も呼ばなければ、誰も気が付かない。

今年は横浜開港150年で、みなとみらいで何かの工事を延々とやってます。
シールをもらいました。
使いてぇぇぇ!(笑)
手紙を出す用を作らねば。

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2008年12月26日 (金)

訃報:早乙女貢氏

幕末の会津志士に重点を置いた、歴史小説家の方です。
お年寄り一人が亡くなるということは、図書館一つ分なくすのと同じくらいの損失だといいますが、早乙女貢はそれなら、幕末専門図書館が何件建つのやら。
会津系図書館はその倍は建つでしょう。

ミーハーの私は司馬遼太郎ばかり繰り返し読んで、早乙女貢氏の沖田総司の本は、一回読んで満足してしまったのだと思います。
最近ちょっと反省しまして、もっと幕末と真摯に向き合いたいなと思ってましたが、早乙女氏のペンネームの由来を聞いて、変わらなくてもいいかもと思えました。

早乙女貢wikiより : 本名は鐘ヶ江秀吉、ペンネームは「若い娘に金品を貢ぐ」という意味。

かえって漢気があっていいペンネームじゃないか。
漢らしくて大好きになりそうだ。
向き合い方がどうであれ、自分の本分と存在理由を見失ってなかったら、それはそれで真摯な生き方なんじゃね。

お悔やみ申し上げます。
天国ではいくらでも新規取材ができますから、新しい小説を書いて待っていて下さい。
私が天国に行けたらの話だがのう。

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2008年12月21日 (日)

大倉山だよ!(画像ばかり)

少し前ですが、大倉山記念館に行ってきました。
東横線大倉山が最寄り駅です。
閑静な待ち、ちょうどいい賑わいの商店街、どれも素敵でした。
建物を見るまでは、普通の町だと思えます。

大倉山記念館は、誰もが一度はさりげなく目にしてるんじゃないかと思います。
何かと撮影されているし、ドラマとか、松任谷由実のジャケ撮影も有名。
見れば納得です。

大倉山記念館内に、建物についての説明の新聞記事が置いてあったので読んでみましたら、「へんてこ建物」として広くに知られているそうです。
建築としてブレてるんだそうです。
とにかく細部まで恐ろしい建物でして。
以下、画像ばかりです。重くてすみません。

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日本なんだが。
とんでもなくでけぇ!
無論ギリシャ風。

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日本だから、鳳凰。
下の柱はギリシャ風とか言わないで。

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大ホールに入るまでの階段。
入ってすぐの階段が、すべて石細工なんだが。
GHQ関連といわれる銃痕も見せて頂いたのだが。

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真上。
ライオンとかの像がズラッと並んでいます。
どこにいても、どれかと目が合うように配置されています。
私も目が合いました。こえええええええ!

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たかが階段の踊り場と侮ってはならない。
RPGです。宝物を探すのよ!(家捜ししたら、不思議な△の扉があったよ。使い方がわからなかった)

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ランプが!
今見ると、影が不自然。

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ホール吹き抜けの回廊の手すり。
なぜかこの○がシンボルマークなのか、建物の外壁にもあって、さらにはお揃いで、同じマークが入った木製の倚子がいくつもあるよ。
金属製の扉にも文様付き。
すべてのドアに、柱に、建物に、調度品に。
贅の限りってこのことか。

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地下。
事務所があったりしますが、電気室もあります。
電気室は二重扉で、格子が挟まってて、電気室なのに奥にいくつか部屋があって、階段もあったよ。ダンジョンだよ。
もう一つ、魂を留めておく碑がホントにあった。写メったけど気がとがめるのでupしない。

外部は必要があるのかわからない煙突や、神社や、何だかとにかく、山全体が何かの集合体。
事務の方のお話しでは、ホントに出るのだそうです。
しかし建物が「ブレている」と聞いた我々には、もう絶望先生のOPしか頭に流れてこないわけでして。
ブレブレブレブレ♪とか歌っちゃうテンションで。
絶望したぁぁぁ!とか無意味に叫んじゃう状態で。
いや、一緒に探索してた人、初対面だったんだけど。
狂喜乱舞を味わいたい人にオススメの建物でした。

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2008年12月15日 (月)

もう萌えらんない

上野まで出たついでに、彰義隊のお墓と西郷さんの像を探してみました。
薄曇りで中途半端な逢魔が時。
木も生い茂っていて人気もないという。
彰義隊のお墓はすぐに見つかりましたが、だいぶ後悔しました。
圧倒的に大きい。
空気が重い。
お墓の写メだけは、不敬に当たるのでやらないことにしてましたが、それ以前に無理。物理的にあり得ない物が写りそう。

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お墓の解説のイラストだけ写メって来ました。
解説に寄りますと、現地は彰義隊のお墓でもあるけれど、厳密には彰義隊隊士の100人以上の遺体を焼いた場所と・・・・・・。
いやいやいや。
るろ剣の左之助のモデルの新選組の原田左之助の最期の地だし。
って、そんな軽い気持ちで見に来てごめんなさい。

西郷さんの像はみつかりませんでした。
地図だと、彰義隊のお墓から、ホントにすぐ。
足早に歩きすぎたようです。
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西郷さんの代わりに写メ。武装錬金のカエルに似てた。和月祭り。

私ですら感じるところがあったので、帰ってから彰義隊の怪談話をググったら、多量に引っかかりました。
曰く。
上野戦争後、その場には彰義隊隊士とその家族の100体以上の遺体があったのに、葬ることを許されず、近所の円通寺の住職さんが罰せられるのを覚悟で荼毘に付してくれたそうな。
それにまつわる怪談話は、怖くて縦読み。

恨みのたぐいは速攻で江戸中に広がっただろうし、そんな場所に敵方の大将の西郷さんの像が近辺にあるって、恨みを煽ってないかとか。
政治的意図以外になんかあるのかとか。
西郷さんに特に興味のない私ですら勘ぐっちゃうんだが。
西郷さんが万人に人気があったとしても、わざわざそこに置かなくても。
彰義隊の恨みも、上野戦争の時のように西郷さんに止めて欲しかったの?
西郷さんだって気詰まりじゃね?

私が立体が好きなルーツに、高村光太郎の蝉の彫刻があって、その親の高村光雲作の西郷像が純粋に見たかったけど、二度とあの周辺には行かないだろうなぁ。
彰義隊のお墓も怖かったけど、もっと怖かったのは天海僧正という人の毛髪塔でした。
碑は見慣れてるのに。
久しぶりに胃袋をつかまれる勢いでゾッとしました。

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2008年9月17日 (水)

幕末は新選組だけいればいいよ orz

このところ、友人の京都の旅を、何故かサポートしてます。
詳細を伝えていて、自分が龍馬関係の跡地にやたら行ってるのに気がつきました。
池田屋のすぐ近くに住んでたりするから!

龍馬はどちらかというと、新選組の敵です。
立場じゃなくって、地位じゃなくって。
近藤先生が切腹かなわず斬首になったのも、そもそも処刑になったのも、龍馬関連と言われています。
当時、龍馬を殺したのは新選組の仕業と誤解され、龍馬の友人知人は新選組を恨みました。それ以前から憎まれてはいたんでしょう。しかし、自首した近藤先生の処分担当が、龍馬の友人だったのが最悪の始まりで。
処刑という処分内容に、私怨があったのではないかと言われています。てか、まず入ってます。
近藤先生は実績と成果がそれなりにある人なことを考慮すると、後世に使えた人でした。幕府のために働いていたし、正式に会津藩お預かりだし、政治の舞台にも近藤先生は介入していたし。
だから処刑はされないで済んだのではないかという説があります。
もし、龍馬の友達が処分担当でなければ。龍馬が殺されてなければ。

現在の私の心中は、龍馬に対する逆恨みは消え、正当に勝海舟への恨みで終わっています。
ちょっと聞いてよ! ↓
近藤先生が自首した後、土方さんが勝海舟へ近藤先生の救出懇願に行っています。あの大変なときに、直々にだよ?!
以前から勝海舟と新選組は関係がありましたが、勝海舟はそれまでの情ではなく、土方さんと取引をします。土方さんは勝を信用して取引条件をのんだのですが、対して勝海舟は近藤先生に対して何もしなかった。という顛末があります。
土方さんとの約束を破った人。近藤先生を助けなかった人。
多分一生、勝海舟が許せない。
(新政府は赤報隊のように、新選組を利用した上で切り捨てる可能性も大いにありますし、近藤先生が簡単に新政府のために働くとも思えませんから、生き残って幸せになれたかは別。)
(この私の恨みに、土方さんに直接会った羨ましい人だからってのも入ってます。)
(沖田にも会ってるかもしれないし! 嫉ましい!)
(私怨とは、かくも愚かな・・・)

そんな勝海舟の話を知るまで、龍馬に逆恨みをしていた時期が、私にもありました。
かなり長い年数。
現在でも何となく近寄り難く、関連書は完全に手を付けてません。現存している古文書以外、目を通さないし。最近見つかった物とか。
龍馬の史跡が多いんだよなぁ。



池田屋跡のパチンコ屋が、ついに潰れたそうです。
ホッとした反面、もう奥には入れないのが寂しい。
パチンコ屋さんに入って、せっかくだから遊んでいこうと台にお金を入れたら、隣の台から玉が出てきた夏の日が忘れられない。忘れたい。

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2008年5月14日 (水)

沖田総司 プレ終焉の地

話はさかのぼりまして月曜日。
四谷ってね、新宿御苑が近いんだよ☆

て訳じゃないんですが、次の行き先については考えずに四谷まで出てしまったので、どうするかなと地図を見てましたら。
内藤新宿発見。
沖田が死んだところだ~!!!!!!!!!!
しかも修羅の刻で陸奥と沖田が闘ったところだ!(笑)

10年以上恋い焦がれてましたが、なんだかんだと行けないでいた場所。
最寄り駅は千駄ヶ谷。
最初の目的地だった四谷第四小学校へは徒歩7分で、その三倍以上はあるルートだけど、行けないことはないでしょ! 歩けばどこにだって行けるでしょ!

勘。
それは日頃の訓練が蓄積されたセブンセンシズ(誤)
思った以上に早く、怪しげな場所に出ました。
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てのが、間違ってまして orz
確かにこのあたりには、伝えられている川が流れていた場所ではありますが、道が一本ずれてたらしい。
ただ、池尻橋の欄干はあったので、何がなにやら。
ちょうどかなりの広範囲で工事をしていて、地形がおかしくなってたのと、私が前もって資料も見直さずに立ち寄ったので、水曜現在、ようやく古地図を見返しています。

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1862年の地図です。(人文社/嘉永・慶応 江戸切り絵図で見る幕末人物事件散歩)

沖田の死んだところは、現在の説はわかりませんが、数年前までは現在の新宿御苑の端、江戸時代には信州高遠藩主内藤家の屋敷があったところの隅っこあたりの、植木屋平五郎さんちの離れでした。水車の音が聞こえる場所だったと伝えられています。
私が行ったのは池尻ト云の辺りの、植木屋の表示のあるところ。植木屋は植木屋なんだけど!
水車がもっと下なので、さらに奥に行くべきだった。

ただ多少は収穫がありました。
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畑と表示されていたところには、ビルが建っていたはずですが、運良く工事中で、当時の状態が少しわかります。
奥は多分、新宿御苑です。この辺は木が多いところだったそうなので、そのまま残っていると思います。沖田が見たかもしれない雑木林。

して、運良く猫が!
沖田が死ぬ直前に、斬った斬れなかったと言われた猫が。いや、猫の説は創作なんだけど、嬉しい!
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三匹も!
そのうち、二匹はどんぴしゃの黒猫!
実は縁起がいい。
幕末、黒猫は結核と恋の病に効くと言われていた縁起のいい猫で、黒猫が不吉と言われるようになったのは、西洋思想が入ってきた明治以降だから。
不吉だからと沖田が斬るわけがない。
子母沢 寛が取材した頃、この辺には猫屋敷があったと、誰だったかが取材の後を追って確認してた気がします。だから話に猫を出したと。
私もこの説を押したい。猫が今いることと江戸末期の頃を繋げるのは無理があるけれど、でも今も猫はたくさんいる。猫が住みやすいところなのかもしれない。
まぁ、正気じゃないからね。追っかけてる人間にとっては、すべてが何かの証明に思えるからね orz

来週も近くまで行く予定があるので、リベンジに行ってきます。
ただこれで歩きすぎたのか、本日ダウン。
おかげで資料も少々あされましたが、集中力が出なくて今ひとつの収穫でした。
来週もダウンなのかなぁ(^^;




追記:
雑木林に少々不振な物が写っていたので削除しました。写メレベルなんで不明瞭でしたが。それに合わせて文も少し変えてあります。

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